庭に、見覚えのない木が生えていた。
しかも、「芽が出ているな」という程度ではない。
私の背丈に迫りそうなほど、すでに立派に育っている。

これだけ大きくなっているのに、なぜ今まで気づかなかったのだろう。
あらためて見ると、周りの植物にあまりにも自然に馴染んでいる。
昔からそこに植えてあったような顔をして、すっかり庭に溶け込んでいたのである。
前回は、妻が育てたカレンジュラや野菜が、ついに食卓へやってきた。わが家のポタジェは、庭で眺める段階から「食べる庭」へ進み始めている。
見覚えのない木は、妻が植えたものだと思った
最初に頭に浮かんだのは、妻である。
わが家の庭では、私の知らないうちに植物が増えていることが珍しくない。
カレンジュラ、メロン、カボチャ、スイカ、ネギ。
最近では、見覚えのない植物があっても、「妻が植えたのだろう」と思うようになっていた。
今回の木もそうだと思い、妻に聞いてみた。
ところが、妻にも心当たりがないという。
妻も植えていない。
私も植えていない。
では、この木はいつ、どこからやってきたのだろう。
どうやらタラの木らしい。ただし、まだ未確定である
葉の形などから調べてみると、どうやらタラの木ではないかという話になった。
ただし、現時点ではまだ確定していない。
タラの木に似た植物もあるため、この記事では「タラの木らしき木」として話を進めることにする。
正体がはっきりするまでは、もちろん食べるつもりもない。
それでも、「タラの木かもしれない」と分かった時点で、これはもうポタジェ案件だと思った。
「処分じゃなくて植え替えでしょ?」
木が生えていたのは、塀と花壇の隙間である。
大きくなることを考えると、この場所にそのまま残すわけにはいかない。
場所を変える必要があった。
そこで、妻に確認した。

これ、処分じゃなくて植え替えでしょ?
すると妻は、少し嬉しそうに答えた。

わかってるじゃん♪
どうやら私も、少しずつ妻のポタジェの考え方が分かってきたらしい。
タラの木かもしれない木を、正体が分からないからといって処分する選択肢は、妻にはなさそうである。
いったん大きな鉢へ植え替えることにした
植え替える場所はまだ決まっていなかったため、いったん大きな鉢へ移すことにした。
ところが、掘り起こしは思っていたより難しかった。
木が生えていたのは、塀と花壇の隙間にある狭い場所である。
スコップを入れられる方向が限られており、根の周囲を十分な広さで掘ることができない。
できるだけ根を残したかったが、掘り起こす途中で根が切れてしまった。
大きく育った地上部分に対して、掘り出せた根は明らかに少ない。
不安はあったが、そのまま大鉢へ植え替えた。

植え替え直後は元気だった。ところが1時間後……
大鉢へ植え替えた直後、木は思ったより元気そうに見えた。
葉もしっかり開いており、「何とか大丈夫だったかもしれない」と少し安心した。
ところが、その安心は長く続かなかった。
1時間ほどして様子を見ると、葉が一斉にしおれていた。

植え替え直後の姿とは、明らかに違う。
やはり、根が途中で切れた影響だろうか。
「これは、まずいかもしれない」
植え替えが終わって一息ついたはずが、今度はこの木が持ち直すのか心配になってきた。
葉の量を減らし、支柱で固定した
葉がしおれたため、葉の量をかなり減らしてみた。

終わってみると、ずいぶん寂しい姿になっていた。
今度は、「やりすぎたかな」という別の不安が出てきた。
よかれと思って葉を減らしたが、これでよかったのかは、まだ分からない。
そのあとは、風に煽られないよう支柱を立てて固定した。
この先は曇りで、その後は雨の予報だったため、置き場所についてはあとで考えることにした。
「わかってるじゃん♪」と言われたけれど
妻に「わかってるじゃん♪」と言われ、少しはポタジェの考え方が身についてきたと思った。
ところが、その直後に根を切り、1時間後には葉がしおれ、最後には葉の量をかなり減らすことになった。
本当に分かっていたのかどうか、早くも怪しくなっている。
この木が本当にタラの木なのか。
そして、植え替え後に持ち直してくれるのか。
まだ分からないことばかりだが、幹は立っている。
タラの木らしき木の今後を、もう少し観察してみることにする。
その横に生えていたのは、明らかにミョウガだった

その後、タラの木らしき木が生えていた場所をあらためて見ていて、もう一つ気づいた。
そのすぐ横に生えているのは、どう見てもミョウガである。
妻に確認すると、こちらはちゃんと自分で植えたものだという。
見覚えのない木については外れたが、その真横では、妻が植えたミョウガがしっかり育っていた。
最初に「妻が植えたのだろう」と思ったのも、まったくの見当違いではなかったらしい。
わが家のポタジェでは、植えた覚えのない木まで、簡単には処分されないのである。
そもそも、わが家の庭がポタジェへ向かい始めたきっかけは、妻の何気ないひと言だった。最初から読むと、植えた覚えのない木まで残されるようになった理由が、少し分かるかもしれない。



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